『カリッと青7上段テンパイ』
今更・自己紹介( その3)
掲載:2009/11/18 00:10
昨日は、ホールスタッフ生活を終える話をしたところで終わりました。
終えた理由はと言いますと
所謂、万枚規制です
ミリオンゴッドが広まってからしばらくすると、あまりに過激なスペックが問題視され規制が入りました
それでも、当初はそれほど激しいスペックダウンは見られず、ストック機の激しい瞬間出玉によって、ホールは盛り上がっていたかに思えました。
しかし、ほとんどのストック機のシステムには、特定のタイミングで打つ事によって機械割の跳ね上がるゾーンが存在していました
それに加えて、全体的な機械割の低下も顕著になり、128ゲームなどの特定のゲーム数で放置される台も目立つようになり、全体で見れば稼動も低下するようになりました。
これは大きいホールや、人気ホールではそこまで顕著にならなかったものの、小さいホールでは結構なダメージだったかと思います。
これは、僕がストック機が嫌いな理由の一つでもありまして、たかだか小さいホールで、やっと役職を貰っていただけの僕でしたが、かなりショボンとしてしまいました。
そんな気持ちのまま、何となくホールスタッフを続けていたある日
朝礼の際に、店長と言い合いになってしまったんですね
当時27歳でしたが、思い返せば生意気だったかも知れません…
そのままの勢いで、その場で辞めてしまったんです
気持ち的にも、この先スロットで盛り上げるのは難しいだろうなぁ
と思っていた事も有って、そのままスロット、パチンコ業界の興味もなくなってしまったんです
そして、スロットも一年ぐらい触りませんでした、自分の中で全く興味なくなってしまってたんですね
勝てるからって理由だけでは、僕はスロットを打ちません
いかに自分が楽しいかどうか、そして回りが楽しんでるかどうか
当時から、それが基準でした。
しかし偉そうな事を言ったところで、それからは特にやりたい事も決まらず、ほんとにダメ人間まっしぐら、20代後半にもなって社会的には極めて非生産な人間になってしまったわけですよ。
そんな中で出会ったのが「吉宗」でした
雑誌の類は読んだりしていたのですが、いざホールに入ってみてビックリ、更に打ってみてビックリ
最初の頃は、全く1ゲーム連をさせる事が出来ず、面白いけど金のかかる機種だとしか思っていなかったんですよ
とにかく、かなり長い間引けなかったですね
記念すべき初めての1ゲーム連は、レギュラー中のJAC外れ(笑)
もう数十回とビッグを引いて、引けなかった1ゲーム連なのに、初めてがJAC外れで、しかもレギュラー中
今でも、引いたホールと座っていた場所は鮮明に覚えています。
その前後から、また少しスロットを楽しめるようにはなったのですが、本格的に面白くなったのは「5号機」が登場してからです。
えっ?!?!
と思う人も多いかも知れませんが、4号機と平行して設置されていた頃から、僕は5号機ばかり打っていました。
理由は簡単で、長い時間安心して打てるからです。
つまり、強制的にはまりと連チャンを演出するストック機と違って、連チャンもはまりも、設定と自分の引き次第
それを言ったら、ストック機も同じじゃん。
と思う人も多いとは思いますが、運に左右される曲面は、5号機の方が圧倒的に少ないです。
その反面、ストック機のような低設定の一発的な出玉は無くなり、打てば打つほど負けていく事にはなるのですが…
それに当時は、4号機でしっかり回収出来ているホールが多く、5号機が割高で使われていて、楽しく打てる環境だった事も有ります。
おかげで当時働いていた仕事「義肢装具制作」という極めて給料の低い仕事だったのですが、夕方や休みの日だけしか打てない状況でも、かなりの小遣いをゲット出来ていました♪
仕事帰りに打つと言うと、イマイチ勝ち辛い、そして勝つ金額も少ないと感じる人も多いかも知れませんが、仕事帰りというのは非常に勝ち易く、負け辛いと思っています。
スロ生活をして、その思いは凄く強くなりました。
今でこそART機が主流の5号機ですが、一年ぐらい前までの主流は完全にボーナスメインのタイプでして、それなりに数千ゲーム回っていれば、素直にボーナス確率で高設定の目安に出来ましたからね。
そんな感じで、スロットを楽しみながら仕事をしてたのですが、ここで事件が起こります…
勤めていた仕事場がダメになったのです…
ダメと言っても、倒産では無いんですが、社長が閉めると決めたんです
まぁ何事も順調には行かない物ですね(笑)
この続きはまた次回に
コンドルでしたm(_ _)m