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【ヒロオ】
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『酒と涙と本とパチスロ』
ひとつの時代の終わり
掲載:2015/10/4 20:15

私が子供の頃は、野球というスポーツは今よりもっと身近なものであったように思います。

晴れていれば近所の連中と外で野球をする、それは人数次第で通常だったり三角ベースだったり。同世代の方ならば、「透明ランナー」という単語やベース役の段ボールが動きまくっていたことなど、共通する話題も多いかと。
私的な事情で言えば、私が幼稚園の時点で長兄は既に中学の野球部に、そこからもう少し経つと兄が二人とも野球部にいましたから、他の人以上に身近だったように思えるのかもしれません。

そして、夜になれば毎日ナイターを見る。
ご存知のように、この頃は巨人戦を毎日中継していたので、見るのは常に巨人vsどこか。今でこそ地方球団があるので違いますけれど、当時の東北地方に巨人ファンが多くいたのは大体これのせい。土日になるとパ・リーグのデーゲームの試合とかもテレビで見れましたけどね。

今の今まで公言したのを聞いたことがありませんが、おそらく父は巨人ファンだったのだと思います。他の家族では、母には特に贔屓球団がなく、長兄は南海を応援していて、次兄は近鉄の熱烈なファンでした。
どこかを応援しなくてはならないわけではないものの、年離れた兄たちのすることというのは弟にとってやはり真似したくなるもので、幼い頭を振り絞って考えた……のかもしれませんが、今思えばどうだったかは分かりません。
巨人戦を毎日やっていたのだから大人しく巨人ファンになればいいのに、今でもそうですが、私は昔から天の邪鬼でしてね。そして、兄たちと被ってはいけない……と思ったのかももう忘れましたが、なんとなく同じ球団ではいけないような気がしたのでしょう。

ということで、幼い私が応援することを選択した球団は「阪急ブレーブス」。理由は正直忘れました。
それでも考えてみれば、上述のように私は幼い頃から変わったものが好きだったので、オーバースローの投手が大勢を占めていた時代に、斜め下方から投げていた山田久志が格好良く見えたことが理由かなとは思います。

しかし、山田は私が応援することを決めた2年後くらいに引退してしまい、同じ年に世界の盗塁王・福本も引退。
さらに、当時の私はよく分かっていなかったと思いますが、球団の親会社が変わって球団名も「オリックスブレーブス」に変わってしまうことになりました。

それでも、私は応援を続けました。
特に、理由となったはずの山田はもういませんでしたけど、この年あたりの強力打線、いわゆる「ブルーサンダー打線」がとても好きで、それを構成していた打者たちが好きだったというのもありました。
調べてみると、リーグ2連覇を果たした95~96年あたりにもこの名称が使われていたらしいのですが、個人的には石嶺と藤井(康雄)が両方いないとブルーサンダー打線という感じがしないです。
そして打者だけでなくて、天の邪鬼で、変わったものが大好きだった私の目に、物凄く魅力的に映る投手がこの頃台頭してきていました。
後に11年連続二桁勝利を記録してパ・リーグを代表する投手となる、星野伸之です。

周知のように、星野は非常に球速の遅い投手でした。
最近だと「130キロ代前半のストレートと~」みたいな言われ方をするのをよく見かけますが、少なくとも私がテレビで見ていた試合では、星野のストレートが130も出ているのはかなり稀なことだったように記憶しています。
そして、代名詞ともなっているスローカーブ、さらには球速が遅いこともあってか「緩急と制球で打ちとる軟投派」と思われがちなのですが、私が見ていた限りでは、星野はどちらかといえばコントロールの良くない方で、緩急というよりはストレートとフォークのコンビネーションで三振をとる、フォークピッチャーだったのだと思います。
豪速球投手でない、それどころか球界で最も球速が遅いと言っても過言ではない投手が、重量打線を相手にしてバッタバッタと三振に切ってとる。
変わったもの好きの私がこの姿に惹かれるのは、至極当然のこととも言えました。

その後のオリックスは皆様もご存知のように、94年にイチローというスターが登場し、95~96年にリーグ2連覇と日本一を達成して、2005年には近鉄との合併によって「オリックスバファローズ」となりました。
実は今でもちょっとだけ気にかけてはいるものの、私がオリックスに本腰を入れなくなったのは多分このときです。
ちなみに、この合併は私の贔屓球団と次兄の贔屓球団が合併したということになるわけですが、二人ともなんとも言い難い、なんとも表現しにくい感じでこのチームを見ているような気がします。私にしてみればオリックスの名前はついているけど後ろがバファローズでたまに近鉄の復刻ユニフォームを着ていたりするし、兄にしてみればバファローズと名があっても選手は新球団の楽天にも分配されたわけで、兄は多分、現在のオリックスバファローズに近鉄要素をあまり感じていないのだと思います。


さて、長々と自分語りをしましたけども、私が何故これに触れているかということは、プロ野球を日常的に見ている皆様には大体お分かり頂けることでしょう。
日ハムで兼任コーチをしていた中嶋聡捕手が今シーズンで現役を引退するということで、私が最初に応援していた球団である阪急ブレーブスに所属経験のある現役選手がこれでゼロになりました。というか、今よくよく考えてみたら、阪急どころかオリックスブレーブスに所属経験がある現役選手も中嶋が多分最後ですね。
まあ、そうなるのも当然のこと。しかし、あれから27年か……そりゃあ私も歳をとるわけですな。
ついでに、今ちょっと思ったのですが、中嶋も山田もそういえば秋田出身でしたね。いいなぁ秋田は……落合もいるし……ぶつぶつ。

こうやって書いていると、なんとなくあの時代のファミスタとスーパーファミスタがやりたくなりました。
よくやってたのだと助っ人誰だっけかな……ブーマーはまぁ置いといて、ニールはもう少し後だし、うん、トーベあたりかな。ああ、そういやタイゲイニーもいたなぁ。タイゲイニーの攻撃的1番、結構好きでしたね。
まあ私のペナントモードはスーパーエース・星野が最多勝、常に絶好調の4番・藤井が三冠王をとる世界ですが。
いや、たまに3番・高橋智がホームラン王とることもあったっけ。そういえば高橋智は途中でヤクルトいったんだっけな……。ヤクルトファンの皆様、リーグ優勝おめでとうございます。


ということで、なんだかよく分からなくなってきたので今日はこの辺で。
それではまたー。


(文中敬称略)
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