『ネクスト・ロック・ゲート』
保険業界 / パチンコ業界のタブー
掲載:2015/4/13 08:10
1988年から1994年にかけて小学館『ビッグコミックオリジナル』に連載された、浦沢直樹 / 勝鹿北星 / 長崎尚志脚本、浦沢直樹作画による漫画『MASTERキートン』
『MASTERキートン』1巻と、続編『MASTERキートン Reマスター』
この作品の1巻・第1話『迷宮の男』冒頭にこんなセリフがあります。
「一定期間内に、加入者が死ぬか死なないかに金を賭け合うビジネス……すなわち生命保険です」
『日本版カジノのすべて』の著者・木曽崇氏がツイートしていたのですが、このセリフって保険業界のタブーなんだそうです。言うと、死ぬほど反論が返って来るのだとか――。
で、このツイートを受けた誰かが「パチンコを『賭博』と言うと、『遊技』だと返されるのに似ている」と応じていたのですが、パチンコという遊技と遊技機自体にギャンブル性はありませんよね。
出した玉やコインを景品に交換すると、その景品を買い取ってくれる古物商があるという業態からギャンブル性が生まれるわけで、「パチンコは賭博だ、遊技だ」という議論は、その業態をギャンブルとして利用する人の行為こそが問題なのだという物事の核心からズレているように思います。
ちなみに、そのセリフの前のセリフはこうです。
「ギリシア・ローマ時代、競技は生死を賭けた神聖な戦いだったのです……観戦し、勝者に金を賭けることも神聖な行為とみなされました。これが賭博の起源ですね。賭博は今日、遊戯として発展し、一方ではビジネスになった」
働いて得たお金こそが尊いものであり、賭け事で得たお金は卑しいものとされる日本とは全く逆の価値観ですね。
だから、教育課程で儒教的な価値観を擦り込まれたにも関わらず、社会に出てから卑しいとされるものに傾倒してしまう自分を擁護するため、賭博としてパチンコ・パチスロに接していながら遊技と言い張ってみたり、パチンコ・パチスロを打ってみせる事で社会的立場を得ている、ライターとか呼ばれる人種を必要以上に啓蒙するのかと思ったり――。
『MASTERキートン』8巻・第6話『賭けの王道』も読んでみるといいですよ。この話ではギャンブラーの矜持が語られると共に、ギャンブルとは人の行為を指す言葉なのだという事がよく分かります。
大抵のネカフェに置いてあると思うし、古本屋なら今は@100円くらいでしょう。
前国会でカジノ法案が不成立だった事を受け、参入を表明していた海外のカジノ大手が「日本人はカジノの経済効果を分かっているのか!?」と、信じられない話を聞いたと言わんばかりのコメントを出しましたが、西洋の価値観からすると、賭博という娯楽と適切につき合うスキルを持たない我々は本当に不思議な人種なんでしょうね。