『ネクスト・ロック・ゲート』
パチンコが何故、適法とされるのか?
掲載:2014/10/27 09:10
今日も秋晴れ。こんな日に辛気臭い話はしたくないんですが、こうした記事は時間がある時にしか書けないのでおつき合い下さい。
まず、日本は賭博禁止の国ですよね? にも関わらず、賭博の類似行為であるパチンコが許されている理由の大元――この業界が建っている土台をご存知でしょうか?
【刑法・第185条】
賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。
ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
朱記の部分が、その土台です。刑法にあるこの規定により、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)の統制の下、一時の娯楽に供する物を賭ける遊技・パチンコは許されているのです。
では、度々議論の的になる三店方式による景品買い取り制度・パチンコの換金システムはどうなのか?
これは「グレーゾーン」と言われる通り、法に明文化されたものではありません。
パチンコ店がプレイヤーに対して景品を提供する事が許されている限りにおいて、それをプレイヤーが第三者に譲渡する事は憲法が国民に保証する財産権の行使に当たるものであり、これを禁ずる事はできないという考え方が、換金を「ただちに違法とは言えない」とする警察庁の判断の背景にあるものだとされています。
要するに、換金システムは解釈論の上に建っているという事。そして、警察庁がこうした解釈論で換金システムを黙認するに至った理由は、過去ログ『この業界は砂上の楼閣です』で述べた通り、「暴力団排除」「社会福祉」のメリットによるものです。
お題につけた「適法」は、いささか語弊がある言葉かもしれませんが、このパチンコ業界が賭博禁止の日本でどんな法的根拠に基づき、どんな解釈論の上に成り立っているか、ご理解いただけたでしょうか?
ところで――
10月22日、東京都遊技産業協同組合が研修会を行い、そこで警視庁保安課風俗営業係・係長が講話を行いました。
内容は「射幸性を抑える取り組みの推進」「風営法の遵守」「中古機流通制度の適正な運用」「管理者業務の推進」「暴力団の再関与防止と防犯対策」です。
「射幸性を抑える取り組みの推進」は既にAT・ART機規制に現れてますが、この中で引っ掛かるのは「風営法の遵守」と「暴力団の再関与防止」が述べられている事ですよね。
1961年、三店方式(大阪方式)が確立する以前、ホールが客に渡したタバコやガムを買い取って再びホールに卸していたのは暴力団関係者でした。これと、パチンコ課税がらみの議論での、「全く存じ上げない事」と換金行為が行われているのを認めない警察庁の答弁を考えると、「換金合法化は認めないし、換金禁止となった場合、再関与してくる可能性が高い暴力団に対しては断固たる処置を取る」という警察庁の強い姿勢が伺えるように思います。
講話を行ったのは警視庁の保安課風俗営業係・係長ですが、警察庁の直接の監督下にある組織の係長が、その上部組織の意向を踏まえない発言はしないでしょう。
現在、パチンコ業界は本当に微妙な所に来ています。11月に先送りされたカジノ法案が通る段階で賭博の類似行為であるパチンコとの整合性を問われた場合、換金行為が法制化できず課税による財源にもならないパチンコ業界が切り捨てられるのは十分にあり得る話でしょう。
まあ、換金行為に課税できなくとも、この業界からはそれ以外の税収もあるわけですが、そうした損得勘定だけでは動かない部分が政治にはあります。脱税や依存症、幼児の車内放置に様々な犯罪の温床として害悪視されている業界ですしね――。
ちなみに、カジノ(賭博事業)を民営化するという構想は、国からの財政支援に頼らない地域活性化手法として前世紀末、地方自治体から生まれたものです。
そして、その中で最も世間の注目を浴びたにも関わらず、地方条例の制定に基づくカジノ合法化は不可能であり国による法整備が必要との検討結果がまとめられ消えて行ったのが、石原慎太郎・元東京都知事の掲げた「お台場カジノ構想」です。
震災直後の苛烈なパチンコバッシングや、今回のパチンコ換金禁止に向けて風営法改正案を検討という動きも分かる気がしませんか? その時が来たら改正案提出しますよ、これは……。
こうした現状を「なるようにしかならない」と諦観する向きもありますが、自分的に一番訴えておきたいのは、業界がこの難局を乗り切れた時、そうした諦観論者(大抵、売り手市場に毒されている)が「ほら、取り越し苦労だった」と再び好き勝手やりだすのを許してはならないという事です。
この業界は反パチンコ派が言うような、警察との癒着で何があっても潰されない業界ではありませんのでね。業界を守りたいと思うなら、業界に関わる人間一人一人が高い意識を持たねばなりません。
そうした意識の高さは一般的なエンドユーザーにまで求めるものではありませんが、業界の射幸性を抑える取り組みは、今後様々な局面に現れるはずですし、自分のブログに目を通すようなコアなユーザーの意識が、そうした取り組みにトンチンカンなコメントをするほど低かったら、やはり問題なわけです。
それらは、カジノ法案がらみの議論で、「パチンコは賭博ではなく、風営法及び、それに関連する法令によりギャンブル性(射幸性)を制限された遊技です」と答弁するための取り組み――要は業界の生き残り策ですから。
最後に、射幸性を抑える取り組みでは「ライター来店取材」も問題視されている事を述べておきます。
出玉的なサービスは謳われていないとは言え、普段からメディア上で「いくら勝った、これぐらい出た」という話をしている人たちが取材に来るとなると、客が連想する事は自ずと限られます。自分は多くの場面で取材を請け負う事でガセイベントを再現するライターの倫理観を批判して来ましたが、それ以前に射幸心を煽る営業として問題なのです。
ぶっちゃけた言い方をすると、出したから良い、出さないから悪いという話ではなく、出そうが、出すまいがライター来店取材はする方が悪いし、そうした営業に足を運んで「出ていない」と文句を言う客もズレているという事です。
これは、今、言われ始めた話ではなく、広告宣伝規制時から警察庁が苦言を呈している事なんですけどね――。
エンドユーザーの牽引役たるライターの意識の高低はこの辺りの対応に出ると思いますので、注意して見ておかれるのがよろしいでしょう。