『スカイ・ロック・ゲート☆』
愛の踏絵
掲載:2014/1/15 11:15
アイドルの辞書上の定義は――
1.偶像
2.崇拝される人や物
3.あこがれの的。熱狂的なファンを持つ人
本来はエルヴィス・プレスリーやビートルズなど、人気・実力以外に説明し難いカリスマ性を備えている人を指す言葉です――これ、知ってましたか?
自分は、前ログで述べたK-POPアイドルがイマイチ定着しなかった理由って、ここにあるんじゃないかと思ってます。
だってねえ、彼女達はルックスが良いし、ダンススキルも高い――辞書通りのアイドル、あるいは極めてそれに近い存在だよね?
韓国人は、日本でアイドルという言葉が、若くて未熟な歌手やタレントを指す言葉に変質してるとは思ってなかったんじゃないだろうか?
ちなみに、アイドルという言葉が変質してしまったのは、昭和の大作詞家・阿久悠が『スター誕生!』で森昌子に向かって言った言葉が原因だろうと言われてます。
曰く、「スターって感じじゃないなあ。だったら、スターじゃなくてアイドルって呼べばいいじゃん!」
数多くのアイドルを排出した伝説の番組のお題が『アイドル誕生!』じゃなかった事からも、番組スタート当初、世間にアイドルという言葉が無かった事は明らかだし、自分もこれが変質の原因である可能性が高いと思いますね。
しかし、可能性が高いだけで断定には至ってません。何故なら、この発言をした阿久悠自身が、著書『夢を食った男たち』の中で自分の発言を真っ向否定しているからです。
「自分達は、アイドルとはエルヴィス・プレスリーであり、長嶋茂雄であり、人気・実力のほかに説明し難いカリスマ性を備えている人が呼ばれるものだと信じていた世代であるから、『スター誕生!』から巣立って行った少女歌手達の事を『アイドル』と呼んだ事は無かった」と、そんな感じです。
でも、2013年の紅白で石川さゆりが歌った曲のタイトル表記が『津軽海峡・冬景色』になっていた事に気付いた方はいますか?
これ、自分の記憶では『津軽海峡冬景色』だったので調べてみたんですよ。すると、『津軽海峡・冬景色』が正式なタイトルでした。
どうも、この曲を作詞した阿久悠は「津軽海峡」の後に「・」を入れた理由を覚えておらず、後には『津軽海峡冬景色』で一つの象徴語なのだから「・」は不要と考えるようになったそうです。
おそらく、今回の紅白で正式なタイトル表記になったのは、番組プロデューサーのこだわりでしょう。
だから……言いたい事わかります? 森昌子をアイドルと呼んだ事も、阿久悠は忘れてるだけなんじゃないのか!? と。
それにしても、マタは予想外に強情ですね。
きっと、もう引っ込みがつかないんだろうと思いますが、「常識あるの? ないの?」という話だと言われたら、俺も言うしかありません。
「まだ、分かんねえのか!?」(C)北原里英
大島優子の常識がないと言うなら、その相談を受けて、卒業発表にGOサインを出したNHKも常識がないのだ。
さらに言うなら、大晦日を最後にパフォーマーを引退したEXILEのHIROはどうなる? 番組前から番組中まで、司会者や姉妹グループのメンバーが何度も言及してるが、これは水を差した事にならないのか?
紅白はその年の歌謡界を締めくくる祭典。この年を最後に紅白を卒業する北島三郎を大トリで盛大に送り出そうという意向はあっても、歌謡界を締めくくる祭典を個人のセレモニーにする意向などNHKに無かった事は、HIROへの対応で明らかでしょう。
つまり、「サブちゃんの大トリ」を「サブちゃんの紅白」と勘違いしてねえか? って話。
大島優子の卒業発表は、正に「愛の踏絵」だったと思う。
ネット上でも騒いでいる連中が大勢いるが、HIROの事など誰も問題にしやしねえ。本当はサブちゃんの事だって何とも思ってやしないくせに、ただ大島優子を攻撃する材料に使っているだけだ。
アイドルの行動を少しでも善意的に解釈し、「間違っている」と思ったら弁護するのがファンであって欲しい。今まで好きだと言っていたくせに、何かあったら、それをネタに貶めて自身の悦びに変えるのでは、外野から好き勝手な声を上げる、ただの野次馬だろう?
その野次馬を普通のファンというのであれば、コアなファンとしては、やはり言うしかない。
「野次馬は、すっこんでろ!」と。
でも、マタはエイトさんの言う通り、イイ奴なのかもしれないね。だって、敬老精神ハンパねーもん。
もし、俺が父ちゃんか爺ちゃんに生まれるなら、マタの父ちゃんか爺ちゃんにしとこうと思ったよ。