『スカイ・ロック・ゲート☆』
冬の時代の価値観
掲載:2014/1/14 09:35
今日は自地区のO店系列を見て回ったんですが、ちょっと立ち回りにくさを感じてしまうほどの客付きだったので稼働してません。
昨年末から、土日・祝日には客が入るようになったと感じてますが、入ったのなら、その分は還元して欲しいものです。
金は天下の回りもの――美味しい思いをした客はリピーターになって戻って来るし、@グリーンべるとでも日遊協が現行ファンの4割が年に1回以上未経験者をホールに誘っているというアンケート結果を公表してます。
来た客はその場で瞬殺を繰り返していたら、絶対に好循環なんて生まれませんって!
という事で、パチ話終了。この所、「大島優子格下論」が続いていたので、その件に関して掘り下げてみる事にしましょう。
そもそも日本で言う「アイドル」とは、若くて未熟な歌手やパフォーマーを指す言葉であり、そうした演者の成長を観賞する娯楽なので、成長し切った完成品と比較したら「格下」で当たり前なんですね。
しかし、その「格下」であるはずのアイドル――AKB48がヒットチャートを独占し、話題に上らない日が無いという現実。
昨年は、EXILEの『EXILE PRIDE ~こんな世界を愛するため~』もミリオン達成したとはいえ、年間チャートでは5位、1~4位は無論、AKB48です。
これは、「格下」には「格下」の戦い方があるという事の証明なので、「格下、格下」とバカにして悦に入るより、「格下」の戦い方を学んだ方がよっぽど有益だろうと私的には思うのですけどね。
ちなみに、その「アイドル=格下」という認識が助長されたのは、80年代・アイドル黄金時代の後に来た、90年代・アーティストブーム=アイドル冬の時代かと思います。
この時代は、ルックスはイマイチだけど歌は上手いとか、パフォーマンスが凄いみたいな連中を売るため、メディアには雰囲気だけで売れてる歌手を蔑視するような風潮が流れてましたもんね。正直言うと、自分も一時期、感化されました。
ただ、それが行き過ぎて、アイドルと思われると売れなくなる時代になってしまったため、90年代は「潜伏」や「偽装」が流行った年代でもあるんですね。
例えば、ビジュアル的な完成度の高さがアダにならないよう、ZARD・坂井泉水はテレビへの露出を控えたし、篠原涼子は1人でステージに立たなかった――つまり、篠原涼子 with t.komuro。
篠原涼子はアイドルでもアーティスト臭を漂わせればダブルミリオン行ってしまうという例ですが、ウロ覚えだったんでwikiってみたら、まだこの時期、東京パフォーマンスドールに在籍してました。バリバリのアイドルじゃねーか!
ともかく、パッケージを工夫しないとアイドル扱いされて売れなかったというのが、この時代です。
余談ながら、それを逆手に取ったのが森高千里ね。楽曲の作詞を手掛け、アーティストとして評価されているにも関わらず、あえてアイドルチックな展開を行う、いわば開き直りの発想。
さらに余談を重ねると、この時代はグラドルとかキャンギャルブームもあるわけですが、こっちは本当にビジュアルだけですもんね。歌がダメなら歌わなければいい――弱い部分を見せたら売れなかった狭量な時代とも言えるのかもしれません。
結論:アイドルは未熟な歌手やパフォーマーの成長を観賞する娯楽。完成された技を堪能する娯楽ではない。アイドルというだけで蔑視するのは、90年代の価値観。
上の一文を理解できるなら、K-POPアイドルが定着しなかった理由も分かるはず。
韓国人は、日本で「アイドル」という言葉が本来の意味とは違う形で定着してしまっている事に気付いてなかったんだよ。
この辺のウンチクは、そのうち――。